さらば上板ファミリーランド
11月に入りました。気温もぐっと下がり、秋深しといった感じですね。でも、2週間くらい前に光が丘公園を通ったら、まだアブラゼミが鳴いていてビックリ。いったいどういうことなんでしょうか?
11月最初の話題は、また一つ、板橋区内から想い出の場所がひっそりと消えてしまう話からです。タイトルでピンときた方は、上板橋近辺で子供時代を送った人くらいかな。その場所とは、上板橋駅北口近くのイトーヨーカドー屋上に存在する遊園地、ファミリーランド。まあ、こういう場所とは縁のない人から見たら、よくあるお子ちゃま用の遊戯施設にしか見えないだろう。設置遊具は、新都市交通システム風のバスと蒸気機関車と新幹線の乗り物、それとトランポリンとゲーセン。ホント、何のシャレも無いささやかな空間だ。でも、大山の水道タンクや常盤台住宅が無くなることよりもショックを受ける人は多いんじゃないかな。大人でも楽しめるように莫大な資金で造られたディズニーランドのようなテーマパークとは違い、まったく子供用に造られたささやかな遊園地だが、そこで遊ぶ子供達にとっては、ディズニーランドと等しく楽しい空間であったことに違いはないと思う。
ここの遊園地は、株式会社「友栄」が運営をしているそうで、HPで確認してみると、屋上遊園地や室内プレイランドを全国で展開し、特にイトーヨーカドーの店舗に多く出店しているようだ。都内では他に赤羽や、四ツ木、竹の塚、三ノ輪、小岩のヨーカドーにある。(アリオ西新井店も運営)ただし、上板と同じように屋上にあるのは三ノ輪だけになった。「友栄」は昭和42年に創業し、遊園地の運営の他に防災機器や測定器の輸入や販売も行っているそうである。
さて、いつものごとく歴史ウンチクを始めますか‥。上板の遊園地がいつできたのか、私の記憶にはありません。聞き込み取材もしていないので、とりあえず愛用の昭和44年度発行住宅地図を見てみると‥まだそのころのヨーカドー敷地は空き地!だった。南(線路側)の対面には映画館・上板東映がある。そしてさらに南側には産婦人科病院の松山病院。(何を隠そう、私が生まれた病院なんですよ。)住宅地図の昭和51年度版ではヨーカドーはすでに存在しているので、その間に出来たんですね。想像だけど、遊園地もその頃出来たのかな。当時、デパートでも屋上遊園があるのは当たり前の時代でしたから、ちょっとしたデパート風の高級感?をめざしたスーパーなら、開設当初からあったように思います。40年近い歴史があるということは、50歳世代から今の子供達までが想い出を共有しているということになりますね。
それにしても、昭和44年度版の地図を見ると感慨深いですねえ。駅周辺には空き地だとか倉庫が多く、東上線から分岐する啓志線の線路もまだ描かれている。上板橋駅ホームには隣接して日本通運朝霞支店の上板橋営業所があり、貨物専用のホームがある。これは、割と近年まで残ってましたね。今はマンションですが。線路北側、東武ストアの入っているマンション敷地は、熊谷組の資材置き場と倉庫だった。ちらっと聞いた話だけど、陸軍や啓志線の運送には日通がかかわっていたらしい。グラントハイツの建設には熊谷組も参加しており、それも関係しているのかな。商店街は、富士見通りの方が充実していたような感じですね。きっと、古くからある街道だからなんでしょう。私が師と仰ぐ、泉麻人先生も住宅地図を見るのが何よりも好き、という人だが、地図は本当に面白い。町内だけの住宅地図は戦前からあったけど、全体の地図が市販された最初は昭和37年度版からだったと思う。板橋区はあまり関係ないけど、戦後、東京が大きく変貌したのは、東京オリンピック時の首都高建設からと言われている。板橋区内の図書館でも、こうした地域の住宅地図を年度別に置いてくれれば楽しいのだけれど‥
と、いつもの如く脱線してしまいましたが、上板屋上ファミリーランドの営業は11月9日まで。最後に想い出を確認したい、または、自分の子供時代と同じような楽しい経験をさせたい方は、足を運んでみてはいかがですか?
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