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2008年7月

誤報かも。。成増飛行場

118 今回はお詫びと訂正です。滞米中から何回か話題にした、B29から撮影された成増飛行場の空中写真ですが、戦時中に撮影されたものではないかも知れず、訂正を致します。

 まず、経過ですが、この空中写真は米国の公文書館・NARA2にてネガの複写を行いました。詳しい検索の方法は後日、このブログのネタにする予定なので省略し、簡単に述べます。まず最初に、当該地区の緯度・経度をたよりに空中写真のコースを記したマイクロフィルムの検索をします。そこには、例えば1945/APR/07などの日付が入っており、NARAに原盤フィルム(複製品)が所蔵されていれば請求し、中一日で閲覧が可能となります。私のささやかな名誉ですが、本フィルムには1945/APR/30との日付けが付けられておりました。この写真は確かに成増飛行場を捉えたものであり、周辺部を見ても占領後の変化も見られず、中隊ピストの近くに機影らしきものがあるのも確認出来るので、戦時中に撮影されたものと思っておりました。しかし、ただ一点、腑に落ちない所もありました。それが、中央部、南北に走るコンクリート製の主滑走路でした。写真では、何か工事をしているようにも見えます。戦争末期、成増飛行場では敵の目をごまかすため、滑走路にベニヤ板とドラム缶で作った偽物の飛行機を並べたり、偽装工作をしていたと聞いていたので、主滑走路にもそんな工作をしていたのかな、と思っておりました。まあ、いくら考えたところで所詮は想像に過ぎず、そこで、当時の成増飛行場を知っている方に写真を添えて問い合わせの手紙をお送りしたところ、つい先程、その方から電話をいただき、見解をお聞かせいただくことができたという次第です。

 連絡をしてこられたのは、元47戦隊富士隊所属の空中勤務者(パイロット)だったB少尉で、一時、空対空特攻隊の震天制空隊員を勤めていた方です。B氏は当時日記を付けており、それによると、47戦隊は昭和20年4月30日は成増飛行場におり、翌日5月1日の二日間、”宇都宮航法”の訓練(羅針盤を使って行う飛行法)をしていたそうで、この日はB29も来なかったはず、とのことでした。ここでもう一つ間違いがありましたね。私、先日の記事にこの頃47戦隊は大阪の佐野飛行場に駐屯していた、と記載してましたが、戦隊は4月18日に成増飛行場に戻っておりました。うろ憶えのまま自信を持って書いてしまいました。スミマセン。。
主滑走路についてのB氏の見解ですが、「これをもってして戦後に撮影された写真と判断出来る」とのことでした。30日はもちろん、終戦の日もB氏は四式戦新造機の受領のため成増飛行場におり、その時分、滑走路は舗装されたままであり、写真のような状態はありえない、と断言しておられました。するとこの写真はいつ撮られたものなのか・・それを考察するヒントはいくつかある。それは、終戦直後の一時期、飛行場は元の地主と飛行場関係者の陳情により、一部食料増産のために開墾が許されていたということ。そして、もうひとつはグラントハイツ建設が始められるごく初期の頃、資材運搬の為に上板橋駅から第一造兵廠練馬倉庫(現・自衛隊練馬駐屯地)まで伸びていた側線が、突貫工事で延長された(練馬倉庫以北は田柄川沿いに敷設された)ことである。側線(啓志線)の使用開始は昭和21年3月25日とされており、開墾もこの時期のことで、川越街道沿いに設けられた東西副滑走路の部分が開墾されたらしい。この写真からは、そのいずれの痕跡も伺えないようだ。前にUPした昭和20年10月に撮影されたような、破棄された戦闘機の残骸も見えないので・・(先程記したけど、駐機している飛行機らしきものは見える)う〜ん、いつ頃なんだろうなあ。。今日は自信がないので判断はまたの機会にでも。

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グラントハイツのことども 1

045gh047gh10012 先だってのお詫び記事で掲載が延びてしまいましたが、米国国立公文書館新館(NARA2)で複写して来たお宝写真を少しづつ取り上げていこう。今回はお固い話しはヌキでいきます。

 この写真は川越街道からグラントハイツの入り口へ向かう交差点である。現在、「おふろの王様」とか「つた屋」が並ぶ通りですね。真っすぐ進むと光が丘公園の入り口があります。モノクロ写真は、1956年8月27日に撮影されたもの。何を撮影したのかというと、MEIN GATE前で、グラントハイツで働く使用人達が、待遇改善を求めて24時間のストライキを起こしているところだそうな。練馬区の発行している本にはMPが検問を行う建物が道の真ん中にあった(うろ覚えです)と思うけど、この頃にはもう縮小していたようですね。

さてこのデモは・・おっと、今日はお固い話しはヌキ、ということで話をそらして・・左写真の左隅に写っている大きな日本家屋、これ、誰の家かわかりますか?私の愛用書・昭和44年発行の住宅地図によれば、鈴木さんのお宅だ。鈴木さん・・地元の事情通の方ならおわかりかもしれないが、そう、平成12年12月に68才で亡くなった、ダイエット&美白の女王・鈴木その子さんの旦那さんの実家だ。ご結婚は昭和29年なので、この写真の当時はすでに新婚さんとしてこの家にも出入りをされていたことだろう。その後、大きなマンションが建ち、一階部分には鈴木その子さんが経営していた株式会社トキノ(現SONOKO)の倉庫があった。道路に面したところにその子さんの大きな写真が貼られていたのを憶えている方もいるかも知れない。現在はそのマンションも取り壊され、また新たにビルが建てられつつある。撮影ついでに工事看板を見ると、注文者は”鈴木まゆみ”とある。まゆみさんはその子さんの長女で、亡くなられてからはSONOKOの名誉会長になっておられるようだ。
そして、このマンションから池袋方向に一軒置いた並びに、一階にバイクショップの入った”幸田セントラルマンション”と、それに併設して”シャーミンズギャラリー”がある。そう、あの幸田シャーミンさんの所有する建物だ。例の住宅地図を見ると、そこには”中華新北京”とHONG KONG TAILOR、そして 外人の住む家が並んでいる。むかし板橋区で小学校の先生をされていた70代の方に聞いた話だけれど、幸田シャーミンさんは中華料理屋の娘さんで、父上はグラントハイツにお勤めの方だったそうだ。成増小学校時代は成績が飛び抜けて良く、神童と呼ばれていたとか。ちなみに、とんねるずの石橋貴明も成増小の出身ですね。この中華新北京がそうだったのかはわからないけど、中華料理屋は両親が経営していたとは考えにくいので、祖父母が経営していたのかもしれない。もっと想像をたくましくすると、祖父母は大陸からの引揚者・・だったのかも知れないですね。おっと、さんざん誤報を垂れ流しておいて、また恥の上塗りをするかもしれないのでやめておきましょう。いつか幸田シャーミンさんにお会い出来る機会があるときにでも聞いてみることにしよう。

写真の話しに戻りますが、現在の日産ディーラーの場所には、何やら自動車工場らしき物が見えますね。看板を拡大して読んでみると”DAIWA GARAGE”とあるので、やはり自動車工場のようです。例の住宅地図を見ると、周辺には多くの自動車工場が存在している。現在もこの近辺の川越街道沿いには自動車ディーラーや工場がたくさん目につくけど、もともとはグラントハイツのガイジンさん相手の商売がルーツだったんでしょうね。今も旭町の何でもないような住宅街に、小さなスナックが点在しているような場所があるけれど、あれも当時のガイジン相手の飲み屋街の名残りなのだそうだ。グラントハイツが返還されて40年近くが経つが、まだまだ名残りがあるんだなあ・・。歴史は綿々と続いている、というワケですね。
そうそう、左の写真の奥にコンクリート製の”掩体壕”が見えますね。これは成増飛行場の戦闘機を爆撃から守るための避難用駐機場だったもの。かつては飛行場の周りにいくつも点在しており、あまりに頑丈に造ってあったので容易に破壊できず、わりと近年まで残っていた。(この写真を見てニヤリとした方がいたら、それは相当なマニアと認めますョ。)

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誤報じゃないかも。。成増飛行場

S19S20 まだ引きずっている。成増飛行場空中写真問題について。いや、勝手にマッチポンプで問題にしているだけなんだけどね。本来なら結論が出てからお披露目するべきなんでしょうが、ブログにその都度UPした方がライブ感があっていいかなと思った次第ですねん。

さて、今日は私がおつき合いいただいている、もう一人の成増飛行場の生き証人、元陸軍特攻・第194振武隊長のH元少尉氏にお会いして来た。H氏は昭和20年5月23日に成増で編成された四式戦特攻隊員で、館林飛行場で訓練中に終戦を迎えた。なんの奇遇か現在は光が丘に暮らしておられる。
早速、光が丘駅地下入り口横のジョナサンで件の写真を見せ、この滑走路に見覚えがあるかどうかをお訪ねした。H氏曰く「成増には6日間いたけど飛行機が間に合わなくてね〜。一回だけ練習機の後ろに乗って飛行場上空を飛んだだけで、訓練なんかは出来なかったんですよ。えっ、滑走路?ん〜憶えてないなあ・・」以上。
ま、64年も前のことですからね、しょうがない。しかし、である。戦時中の成増ねえ〜、といって取り出した本。これはH氏が450部自費出版した「館林の空」という本で、私も出版された当時購入させていただいていた。その本をパラパラめくると・・おおっ、昭和19年に撮影された成増飛行場の空中写真が載っているではないか。練馬区役所で借りた本に載っていた写真を複写した物で、ちょっと解像度は悪いけど主滑走路の部分、私がNARA2で複写して来た写真とほとんど同一ではないか!!そして同時に思い出した。この写真、3年前に国土地理院でプリントを買い求めて所蔵してるじゃん。家に戻ってごそごそ探すと、あったあった、ありましたよ。てな具合で、あらためてスキャンしたのが左の写真なのである。正真正銘、日本陸軍が昭和19年に撮影した写真だ。そう、確かに主滑走路の模様はNARA2のものと酷似している。ではなぜこんな模様なのか・・それは、現在に残る唯一の成増飛行場一次資料「成増飛行場・飛行場記録(昭和二十年三月十日作成)」に手がかりがある。その中の項目、<飛行場の秘匿及偽装に関する事項>によると、“主として上空に対し偽装秘匿しあり飛行地区は偽装道路並に畠地に偽装、舗装滑走路は道路並に家屋の迷彩を施しあり。又掩体には植芝植樹の外麦種の播種、天蓋の構築在地機並に用水池自動車掩体にはヨシズを用ふる等、努めて付近の地形地物色彩に調和する如く偽装す。右の外在地機は既設道路を利用し飛行場西方約三粁地域に分散秘匿する如く工事中なり”とある。後には、滑走路に見えるように偽装した道路へ、ベニヤ板とドラム缶で作ったニセ飛行機を並べたり、笹目橋付近の荒川の河川敷に偽物の飛行場まで作った。
そう、舗装滑走路は道路並(ならび)に家屋の迷彩を施しあり。なんですよ。実は、大阪に在住の元空中勤務者の方からも、滑走路に黒ペンキ塗って偽装工作していたのは憶えておりますねん。ということはお聞きしていた。昭和19年撮影の写真は、いつの時期の撮影かはまだ確認していないけど、米軍爆撃機の来襲をもう予測していたのでしょうね。右のNARA2の写真では、誘導路の部分までも見えにくく工作をしてあるようにみえる。

こうしてみると、このNARA2で手に入れた写真は、やっぱり4月30日に撮影された可能性もあるかもしれない。まだ引っ張るため結論は出さないけど。皆さんはどう思いますか??

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グラントハイツのことども 2

0351034gh033gh またまた日にちが空いてしまいましたね。スミマセン。。
今回は完成したグラントハイツ空撮写真の紹介です。撮影日は1952年6月5日。今から56年前ですか・・ウイキを見てみると、硬貨式公衆電話が登場したり、オタフクソースが設立されたりした年ですね。えっ?それじゃあ時代がわからないって?それでは手塚治虫の「鉄腕アトム」連載開始、NHKラジオの「君の名は」がスタートした年ってことで。
 
 話しを戻しますが、グラントハイツの建設が始まったのが昭和21年4月(昭和表記の方がピンと来る方が多そうなので昭和表記にしますね)から。完成は昭和23年6月とされています(練馬区史より)。”グラントハイツ”と名前が付けられたのがいつの時期か・・これは諸説あるようですが、練馬区史では昭和23年6月、板橋区史では昭和22年3月3日とされています。私がNARA2で発掘して来た写真のキャプション表記で辿ると、昭和22年8月26日の段階では"NARIMASU DEPENDENT HOUSING PROJECT"、10月2日の段階で"GRANT HEIGHTS HOUSING PROJECT"となってます。昭和23年1月22日の写真から表記が"GRANT HEIGHTS"のみになるので、正式にオープンしたのはこの時期かもしれません。ささいなことですが、探求者にとってはこんなことが大事なんですよ。昭和23年の写真はまた後にUPしますが、グラントハイツ内にスーパーのような(表記では、SALES STORE)建物が完成し、商品が並んでる様子が写ってます。
表題写真の時期はちょうど朝鮮戦争真っ盛りのころで、グラントハイツも設備が整い、一番賑わっていた時期かも知れません。写真の順番(右から左へ)より、南から北方向へ飛びつつ、西から東方向にカメラを向けて撮影をしています。まだ現在のむつみ台団地の部分は建物がありませんね。この場所の建設は昭和30年の春頃から始まります。
それにしても、ハイツの回りは、まるで江戸時代以来の農村風景のようですね。国力の差をまざまざと見せつける写真です。見所は、真ん中の写真の中央上部にある、発足したばかりの練馬自衛隊から、田柄川に沿って走る啓志線が分岐する所ですかね。えっ、こんな小さい写真じゃわからない?えへへっ、話題を引き延ばす為にわざと小さなサイズで載せてるんですよ。謎の多い啓志線については、鋭意調査中ということで、またの機会にじっくりと触れますのでお楽しみに。

 そうそう、肝心のGRANT HEIGHTSの名前の由来ですが、アメリカ合衆国・第18代大統領のグラント将軍にちなんでの命名ですね。将軍は政界引退後、世界周航の途次に国賓として日本を初めて訪問した大統領経験者で、記念碑が上野公園に建ってます。短いけど今回はこの辺で。

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