板橋区へ復活!?・下板橋駅
すっかりご無沙汰しちゃいました。こんなささやかなブログでも、きちんと調べて書くのはなかなか大変なので・・。
などという言い訳はまた後回しにして、さて、すでにご存じの方もおられるかもしれませんが、先月下旬の東京新聞に、下板橋駅一帯に関しての大きな話題が掲載されてました。以下抜粋。
日本大医学部付属板橋病院(東京都板橋区)が、東武東上線下板橋駅と直結する新ビルへの移転を計画していることが分かった。現在と同じ千床規模を想定。大学病院や大規模総合病院としては初の「駅上病院」となる。日大と東武鉄道は二十日、計画を正式発表する。
計画地は東武鉄道が所有する下板橋駅西側の板橋、豊島両区境にある敷地約四ヘクタール。東武グループの施設や車両基地が広がる。
関係者らによると、下板橋駅の駅舎とホームを、車両基地のあるエリアに移動させ、周辺施設と一体整備。人工地盤で駅や車両基地を覆い、上部にビルを建設した上で、日大板橋病院を誘致する。
移転時期などについて、日大と東武鉄道はいずれも「具体的な話はこれから」として明らかにしていない。
日大板橋病院は老朽化が目立ち、耐震や最新医療への対応から、移転話が持ち上がっていた。東武鉄道は下板橋駅周辺を、高さ六百十メートルの新タワーの建設エリアでもある墨田区の業平(なりひら)橋・押上地区とともに、沿線活性化戦略の開発拠点と位置付け、活用策を検討していた。
今年に入ってから、下板橋駅に隣接する操車場の拡張工事が進められていたが、ははあ、水面下でこのような計画が進められていたのかと納得した。(今月から始まる通勤ライナーや東横線との接続の関係もあるのかしらん。)それにしても、計画では、戦前に旧下板橋駅のあったところから金井窪駅までの区間を人工地盤で覆い、その上に日大板橋病院を丸ごと移転し、駅(おそらくちょっとしたショッピングセンターも入るのか?)までもそこに含めるのだからこれはすごい。別の媒体では、”高度医療福祉拠点を整備する「メディカル・トラポリス構想」の事業化に向けた検討を進めている。交通インフラの上部を利用した高度医療機関、ウェルネス施設などの開発は国内初の試みとなる。”とも伝えられている。外観のイメージだと、三田線の西台駅を巨大にしたもの・・なのかな。あそこも、高層団地や廃校になったけど小学校が、車両基地を覆う人工地盤の上に建っていますね。地図で確認すると、計画エリアはほとんど板橋区内にあたり、今は豊島区にある下板橋駅も、昭和20年4月に空襲で焼けて以来、60数年ぶりに板橋区に戻ってくることになる。もっとも計画を発表しただけで、いつ出来るのか、本当にできるのかわかりませんが。でも期待してしまいますね。
日大板橋病院は昭和10年に現在の場所(大谷口上町)に開設された。昭和45年に今の建物がたてられたので、確かに老朽化は否めないのだろう。立地も、電車利用者にはアクセスが良くなく、下板橋駅上に出来ればこれは便利になる。有楽町線の伸張や将来の人口減により、確実に利用客が減る池袋~成増間の集客にも良策なんだろう。
(無理とは思うが)私としては、是非、このプロジェクトに、東上線の博物館とはまで言わないけれど、資料室程度のものでもいいから、そんな施設を併設してくれないかなあ、なんて思います。東武博物館での東上線の扱いについては、沿線住民としてはちょっと納得がいかないので・・。東上線の0キロポストは下板橋の車両基地内にあるのだし、建設の記念碑もあるし、歴史的にもふさわしい場所ではないでしょうか。万が一実現するなら、私の収集した数々の東上線資料を寄贈してもいいんだけどなあ・・。とりあえず、株主にでもなって提案してみますかね。なんて。
さて、今まで更新をサボっていた理由の一つとも言えなくもないのですが、私は来週よりワシントンD.C.に約2週間ばかり行ってきます。これは純粋な旅行ではなく、さりとて仕事でもなく・・しいていえば、ブログの趣旨である・趣味「板橋区」を極めるための渡米となるのでしょうか。長年、いつかは。と思い続けていたことを実行する次第なのです。もったいぶって中身はまだ公表しませんが、ノートパソコンを持ってゆきますので、出来れば現地からの報告をお送りしたいと思っております。期間中何もUPされていなかったら帰国後に報告しますね。
それでは板橋区とはしばしのお別れです。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
最近のコメント