農村の終焉
一体どこの田舎の農村風景?いえいえこれは前回の写真の黄金湯あたりの位置から、前谷津川を背にしてカメラを北方向に向けて撮ったもの。撮影は昭和38年10月、区画整理が始まる直前の時期だ。右端を徳丸通りが走っている。
明治の古老の想い出話しによると、徳丸には大木が生い茂り、昼なお暗い場所が多かったと言う。私の記憶では、北野神社の周辺が特に大木が多かったように思う。徳丸通りの両側も日光杉並木街道よろしく、大木が並んでいた。だから、夏のセミ捕りには苦労した。セミが高い所にとまってしまうからだ。モグラやオケラ、バッタ、コオロギなどなど数え切れない程の昆虫もいた。ハエやヤブ蚊も多かったなあ・・。えっ、明治時代の話じゃないですよ。昭和も40年代のこと。よく見かけた茅葺き屋根の家も整理事業の過程でほぼ消滅してしまいました。
徳丸5丁目と6丁目の区画整理がだいたい終了したのが昭和50年くらいかな。もうほんと、その時期からがらっと変わりましたね。林や森が無くなり家がドンドンドンドン建ち並んだ。そして第二弾がバブルとサティのオープンかな。今度はマンションなどの集合住宅がバンバン建ちはじめた。人口の増え方も凄いんじゃないかな。でもね、徳丸の連綿と続く歴史を辿ると区画整理もいたしかたないことだとわかるし、何よりも、大手デベロッパーが入り込んで開発したのではなく、土地の人達が一致団結して事業にあたったことが良かった。ホント住みよい場所になったと思いますよ。坂が多くて住みづらいなんて言ったらバチがあたります。
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