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東武練馬駅からのながめ

Dsc_0002_2あまり昔の写真をupしても現在の様子とは全然違くてピンとこないから、もう少し時代の下った写真を上げてみた。東武練馬駅近くから北方向に向けて撮影された写真だ。なんだ相変わらずの山野風景じゃないか。なんてね。
では、この写真が撮影された背景を説明しよう。線路が写っているが、これは東上線の線路だ。位置はおそらく現在のホームの池袋行き側でいうと六両目あたりと推測する。駅が出来た当時はホームの長さは4両分くらいしかなかったんですね。(その後、6両になり8両になり10両と伸ばされた。10両になったのは昭和51年頃だったかな。大山駅の池袋側の踏切が無くなり道路が分断されたことを憶えている。)

写真は、昭和15、6年頃に撮られたらしい。今の板橋有徳高校の前身、都立北野高校のこれまた前身である、府立第12高等女学校が建設される直前に学校関係者が撮影したものだ。いまは写真の真ん中から左手側に板橋サティが建っているが、サティ建設前は大木伸銅という会社の工場と隣接した民家があった。工場が出来たのは昭和8年のことで当初はまだ規模も小さく、昭和30年ころに丸ノ内線工事で出た残土を利用して谷を埋め立て敷地を拡張した。まあ大木伸銅のことはまた項を改めて書くのでこの辺で。この写真が撮られた頃でもまだ徳丸側には人家がぽつりぽつりと点在していたくらいだったそうな。もっとも南口側は旧川越街道が走り、沿道には下練馬宿が続いていたから賑やかでしたが。現在のように駅を中心に町が広がるのは、もちろん鉄道が開通してからのことで、それまでは、街道沿いとか大きな庄屋や名主(村の取りまとめをまかされた豪農など)の家や寺社の近在が村の中心だったんですね。だから当時の徳丸の中心は、紅梅小学校のある安楽寺一帯でした。中心といっても商店街があるわけじゃないけどね。

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