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徳丸の丘から

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さて、やる気のあるうちにもう1枚。これはいったいどこから撮った写真でしょうか・・?って説明するのがメンドウなので文字を入れちゃいましたが、1丁目の丘の上から高島平方向にむけて撮ったんですね。
1回目の写真もそうだけど、撮影したのは石田収蔵という東京農業大学の教授を勤めていた人物。このお方、明治後期から大正期にかけて活躍した人類学者で、東京人類学会に所属し、おもに樺太方面の北方民族の研究をしていたのです。大正6年頃、板橋地域の遺跡調査にやってきてすっかりこの土地が気に入ってしまい、地主に頼み込んで土地を手に入れ大正9年に引っ越してきました。(現在の徳丸1丁目37番地付近)石田収蔵は仕事柄、当時では珍しくカメラを持っていて、これらの写真はその時に撮影されたのもなんですね。見ての通り、人家などまったく見当たらず、畑や武蔵野台地の荒野がひたすら続く・・。なんといっても、石田さんがこの地に移って来た理由が”樺太の風景に似ていたから”なんですよ。今では同じ位置から比較写真も撮れないくらい家が密集していますからね〜。この石田さん、近世になってから徳丸に土地を買って移り住んで来た移民第1号なのだとか。
石田さんは昭和15年に逝去し、その前年には奥さんも亡くなっており、いつしか家は荒れるにまかせ、とうとう近所の子供達から”お化け屋敷”呼ばわりされるようになりました。時は過ぎ平成5年、縁戚者が家を処分することになり、郷土資料館の方々が調査をした結果、家の中から夥しい書籍や資料が出てきました。その中にこれらの写真が発見された、というわけなのです。昔、写真は人物が中心の記念写真として撮影されるものでしたが、学者であったからこそ、徳丸の昔の風景を残しておいてくれたんですね。

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コメント

すでにご存じでしたらすみません。区政普及映画「伸びゆく板橋区」https://www.youtube.com/watch?v=d_27u4sYhDA というのを見つけました。 
昭和30年代ということなので、今から50年以上前に作成された板橋区政普及映画のようです。
例えば、32:50あたりから下赤塚駅から徳丸が原の映像がでてきますが、今とは全く違う景色に驚かされます。


投稿: しがき伸也 | 2019年3月28日 (木) 02時05分

>>しがき伸也さま
コメントをありがとうございます。「伸びゆく板橋区」は20年以上前、板橋区を趣味とした最初期に板橋区役所で貸し出しをしていたVHSテープからダビングをしました。しかし時代は全く変わり、もはやVHSも見られなくなってしまいましたがそれがyoutubeで見られるようになっていたのですね、情報をありがとうございました。うろ覚えですが、映像の中に松月院通りの紅梅小学校ー大東文化大辺りまでが開通した当初の場面があり、新道の坂部分の横で農作業をしている風景が印象に残っています。これとは別に大山美観街が独自に製作した映像も面白いですね。

投稿: | 2019年3月28日 (木) 09時05分

すでにご覧になっていたとはさすがですね。
農作業をしている風景を実際に観られたのは、もうそういう風景も見られない今となっては貴重なご経験ですね。
大山美観街さんの映像とはこちら⇒ https://www.youtube.com/watch?v=AM0PTkT5Jzo でしょうか。
にぎやかで楽しそうな映像です。

投稿: しがき伸也 | 2019年3月29日 (金) 07時15分

またお邪魔します。
100年前の徳丸の写真、今と全く違う事に驚きますね・・
何年か前に郷土資料館で石田収蔵の展示が有り見に行った記憶が有ります。
昭和時代にこの住宅が有った場所は今は全く違っています。

徳丸幼稚園が有るだけで回りは畑と林しか無かったです。
急な坂道を上った場所に家が有ったと思いますが・・
その脇に追川酒屋店が有るだけでした。
昭和の頃は徳丸幼稚園の裏は、大きな屋敷が有りましたが今は建売が密集しています。
私も何となく石田さんの家を覚えています。
令和の今改めて貴重な写真や資料を遺してくれた事に感謝ですね。

投稿: 卯年 | 2019年12月21日 (土) 13時40分

>>卯年さま
いつもコメントをありがとうございます。
石田収蔵の旧家や周りの風景を覚えておられるのは羨ましいかぎりです。収蔵は1941年に亡くなり、戦後間もなく家は無人となったと聞きました。親族からの依頼で郷土資料館が調査に入り写真や貴重な資料を回収しましたが、長年の空き家状態で泥棒が入り、一部の資料は神田の古書街で売られていたそうです。石田氏自身は学者の目線で生活をしており、私が直接聞いた話では、あまり近所とは付き合いもなく、芳しい評判もなかったようです。

投稿: | 2019年12月21日 (土) 14時20分

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