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徳丸露頭?

Photo 今回は駅周辺から少し離れてみよう。写真は以前より紹介している府立第12高女の生徒達の写真だ。さて、生徒達は断崖に向かって何をしているのだろうか。一連の写真から、昭和16年頃の徳丸新校舎建設地遠足の時に周辺を回った際に撮られた一コマではないかと推測する。
答えは見ての通りですが、彼らは切り通しの崖に出現した露頭を見学しているんですね。専門家ではないので詳しくわからないが、ちょうど生徒達の見ている部分は約十五万年前の地層、東京層なのだろうか、きっと夢中になって貝の化石を探しているに違いない。

 では、この場所はいったいどこだろう?板橋区には、全国的に有名な成増大露頭という場所があった。教科書にも載っていたくらい有名だった。それは三園の成増厚生病院の裏手、峡田道沿いに存在したが、現在はマンションが建てられ見ることは出来ない。そこがこの写真の場所かといえば、どうもそうではなさそうだ。板橋区から発行されている成増大露頭の調査報告書を見ると、成増のものはもっと規模が大きい。崖の高さは20mくらいある。しかし、写真の崖はせいぜい5mくらいだ。それと、成増大露頭が出現したのは戦後になってから土砂採取業者によって採掘された為らしい。他に徳丸周辺で考えられるとすれば、徳丸通りが宮ノ下交差点へ向かう途中、旧徳丸出張所を過ぎた坂道のあたりだろうか。
徳丸通りは、江戸時代から徳丸本村中心部より川越街道へ抜ける道として存在していた。大正時代の終わりまで、宮ノ下交差点から先、石川緑道を交差して続く築堤部分はなく、現在の新聞販売所の横の道を天神坂の坂下で左折し、また現在の徳丸通りにぶつかった所で右折する、といった迂回路を通った。当時、石川緑道の部分には前谷津川が流れており、大雨で水が溢れるとここらあたりの低地は冠水し、徳丸通りも寸断されてしまった。水が引くまで何日もかかり野菜の出荷も出来ない。これではかなわないと村人達が団結して現在の築堤部分を作った。(ここら辺の話しは次回にまわします。)その時に利用したのが、旧徳丸出張所から交差点までの切り通しの掘削で出た土、というわけなんですね。その結果、おそらく写真のような露頭が出現したのではないか?と思うんですよ。まあ、あくまでも推測ですが。

しかし、60年以上前にこんな見学会をするなんて、相当マニアックな先生がいたんだろうなあ。

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コメント

数10年以上も昔、学校のクラブの化石採集で徳丸から成増辺りを歩き回っていました。最近、この記事を拝見し、戦前にこんな露頭があったのか、と驚きました。当時(1950年代後半~1960年代)、「徳丸の貝化石」は有名で、「化石採集の旅」(築地書館)と言う本にも載っていました。学術的には「徳丸貝層」と呼ばれ、1951年の日本地質学会でその「発見」が報告されています。

場所は、現在の徳丸7丁目、「赤塚公園辻山地区」のある台地の東のへりの崖です。上に高圧線の鉄塔があります。モンレーヴと言うマンションがありますが、その裏です。このマンションの場所は、台地の突き出た部分が削り取られて、平になっていて、崖には関東ローム層、板橋粘土層、山手砂礫層、東京層の地層が良く見え、東京層からはいろいろな貝の化石が採集できました。写真が添付できませんが、1958年頃から頻繁に通いました。ほかの高校の野外実習でも良く来ておりました。この露頭とご掲載の写真の露頭との関係は分かりませんが、露頭の形状、左右の幅や高さは似ているように見えます。

また、「成増の大露頭」はちょうどこの頃に、業者が土砂採掘にために掘り始めていました。1959年頃と思います。まさに掘り崩しているところで、崖がすぐに崩れ落ち、危険な状況でしたが、こわごわ化石を採りました。
私はその後、大学も地質学・古生物学の道に進み、その分野で仕事をして参りました。もちろん、今は定年もとうに過ぎて京都に住んでおりますが、昔の頃のことをまとめようと思い、いろいろと検索をしておりましたら、このページを見つけ、大変興味深く拝見し、コメントさせていただきました。長々と失礼しましたが、少しでもご参考になれば幸いです。

投稿: 神谷英利 | 2016年3月 1日 (火) 13時09分

神谷英利さま

こんにちは。
非常に貴重なお話をありがとうございました。

女子高生たちが露頭を観察している(と思われる)写真の場所は特定できませんが、東武練馬駅から松月院通りまで続く「徳丸通り」の宮ノ下交差点までの急坂部分が掘削されたのが大正の終わりころなので、その辺りかと推察しております。
徳丸の貝化石についてはうろ覚えですが、東京大学の研究室かどこかが昭和30年ころに論文を発表していたと記憶します。戦時中に住人達が化石をおたまなどの代替品として使っていたとかなんとか。鉄塔のあたりは確かに貝層がありそうですね。その南側の徳丸6丁目の大地の縁には今でも化石を確認できる場所があります。成増の大露頭は数年前にマンションの建て替え工事中に痕跡らしき物を確認しました。

投稿: オーク | 2016年3月 1日 (火) 21時09分

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