徳丸の地形・続き
前回とちょっと角度の違う所から撮った写真を紹介しよう。これは、北野高校(第12高女とか板橋有徳高校と書いてもなんだか違和感があるので。)の裏から撮影したものです。時代はおそらく昭和16年から20年代までの間と推測。米軍が昭和22年7月に撮影した空中写真と建物の位置などほぼ一致する。
写真に写っている中尾観音堂は現在でも同じ場所にある。真ん中には2軒の大きな茅葺き屋根の家がありますね。現在の徳丸に残っている茅葺き屋根の家は、安楽寺近くの粕谷家住宅しかのこっていませんが(都内でオリジナルの場所のままに建っている茅葺き屋根の家はここのほか、あと一カ所しか無い。)昭和40年代までは茅葺き屋根の家はそんなにめずらしいものではありませんでした。紅梅小学校近くの松月院通り沿いにある中道屋さんは、昭和50年代まで茅葺き屋根でしたね。徳丸は地形のせいでライフラインの整備が遅れていたので、井戸を使っている家や薪で焚く風呂の家が普通にありました。(私の家も薪で焚いてました。)中道屋さんでは薪を扱っていてよく配達してもらっていたっけ。昨年、徳丸5丁目の小金湯対面で30年以上営業していたスーパー立山が閉店した。昭和30年代頃から小さな規模の商店街がいくつか出来たけど、現在はコンビニとサティの出現でほぼ壊滅してしまいましたね。もちろん、この写真の撮影された頃は商店などほとんどありませんでしたが。
ちょっと取り留めが無くなったので、今日はこの辺で。
| 固定リンク
コメント