⭐️板橋区民、2025年お宝大賞発表&大晦日のご挨拶⭐️
うわっ!気がついたら2025年の大晦日、しかももうすぐNHK紅白歌合戦も始まる時間!
いや〜当ブログ開始以来の怠慢な年となってしまいました。。
実は今年はいろいろ思春期並みに思い悩むことがあり、ライフワークである地域史研究にはほとんど意識が向いていませんでした。学生時代からの親しい友人の死や、おそらく人生最後の引っ越しが決まり、その段取りと準備(引っ越しは正月明け早々)に忙殺状態なのです。なにせ郷土史研究35年に渡る間に収集したお宝の一部を手放す一大決心をし、その選別を身を引き裂かれる思いに苛まれながら行っております。しかしながらまだほとんど公開したことのない一大バスコレクションは手放せず、デカいものは郷土資料館に引き取っていただくこととし、自分で保管できるものは成増に新たに借りた倉庫に収蔵することにしました。
さていつもこの時期は、その年に収集したお宝の中でNo-1を決める発表を行なってきましたが、今年は収集が捗りませんでしたが、一つ挙げるとすれば「大島園分譲地」の募集広告かな。これは昭和10年前後に常盤台住宅地を始めとして板橋区内いろいろな場所で進められていた宅地開発のひとつ。場所は現在の下板橋ー環六の間にある東上線操車場の北側一帯にあたる地域で、街歩き好きの方なら東上線記念碑から子易神社の間と説明するとわかりやすいですかね。それにしてもなぜ”大島園”などと言う名称なのか?探ってみると、この開発会社は東武鉄道の本社のある業平橋(現・東京スカイツリー駅)の近くに存在しており、どうやら東武鉄道と関係があるのではないか?と考えられるのだ。しかし、この住宅地は昭和20年4月13日深夜から14日未明の城北地区夜間空襲でほぼ焼失してしまいました。空襲により「金井窪駅」は焼失し廃止されたとされているけれど、公文書を確認すると4月始めには戦時統制(下板橋駅ー金井窪駅ー大山駅間の距離が近いため不経済とされた)により駅の廃止指示が出ていたし、駅舎は空襲で焼失していませんでした。この地図はまだまだ掘れる情報が詰まっているけれど、それはまたの機会に。
さて目下の最大関心事、引っ越しですが、赤塚から成増へ居を移すことになります。おそらくここが最終の地となることでしょう。思えば上板橋の新松山病院で生まれ徳丸で育ち、長じて赤塚に移り最後を板橋区の西の果て成増で迎える。中世荘園時代に”赤塚郷”と呼ばれた地域を東から西に移動する人生でした。これからは板橋区最奥の地から細々かもしれませんが、地域史研究の発信を続けられればと願っております。それでは板橋区域の善男善女の皆様方、どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。



最近のコメント